本書が訴えかける精神が持つべき態度について、ここで読者に説明しておきたい。読者は著者の思想を理解し、適用して、新しい洞察を得たことを喜び、知識がもたらす満足を味わうであろうが、それだけでは十分とは言えない。重要なことがほかにあるのだ。あなたはその真理に自分自身を明け渡さなければならず、それによって、神の意志であるとあなたが理解したことを残らずただちに、二心なく実行できるように備えられなければならない。
本書のように、祈りの生活と、神との内密な交わりとについて書かれている書物においては、我々がそこに神の言葉と意志とにかなっていると判断するところのことすべてに対して、それを受け入れ、それに服従する備えをするということが、決定的に重要になる。この姿勢がないと、得られる知識は、心がより完全な生活を受け入れることができるようになるためには役に立たないものとなる。サタンはクリスチャンの内なる部屋を支配しようと働いている。祈りの中に不信仰がとどまっている限り、神の言葉は彼の王国に少しも損失をもたらさないことを、サタンは知っているからである。そのような状態では、未信者を主に導く、あるいは神の子たちを建て上げる、霊的な力が経験されることはないであろう。この力を来らせることができる唯一のものである継続する祈りが欠如している。
多くの人々に対して問われてきた大きな生ける問いがある。我々はいったい、サタンがすでにある程度我々から奪ってしまった信仰の祈りという武器を、再び勝ち取ろうと真に決意するであろうか。この問題の重大性を直視しようではないか。個々の牧師に関する限り、すべてのことはその人が祈りの人であるかどうか、すなわち内なる部屋で日ごとに上からの力を着せられる必要がある人であるかどうかに依存している。我々は世界中の教会とともに、祈りが神に対する奉仕の中でそれが本来持つべきしかるべき位置を──神の意志と約束に適う、そして牧師と信徒と教会の必要に応じるようなしかるべき位置を──与えられていないことを嘆かなければならない。
多くの信者たちは緒集会において公的に献身するように導かれるが、これは容易なことではない。たとえその方向に踏み出しても、古い習慣と肉の力がそれを無効にしてしまいがちである。信仰は彼らの生活の中でまだ十分な力を持っていない。キリストの名によって悪魔に勝つためには戦いと犠牲が必要になる。我々の教会は、我々が祈りの人となること、主にあって天と地とにおいて勝利を獲得する力ある者となることを、サタンが全力を挙げて阻止しようとしている戦場なのである。我々自身、また我々の教会、そして世界全体が、この戦いにかかっているのである。
わたしはこの戦いの中にある兄弟たちを激励するために役に立つと期待していることを本書で書いてきたが、それを書いたのはおそれとおののきを伴ってであり、また多くの祈りなしには書けなかったとわたしが言っても驚いてはならない。実際、きよめへの道であり神との交わりへの道である内なる部屋への案内人の役割をわたし自身が引き受けるにあたって、わたしは自分が適切な者ではないという思いに深くとらわれていたのである。
わたしは主が本書に内なる部屋の中で場所を与えてくださること、そして主が読者を助けて、読者が神の意志であると悟ったことに対して、ただちにそれをなすために自分を献げることができるようにと主に願った。そのように私が願うことを不思議に思ってはならない。戦争においては、個々の兵士がその与えられた命令の言葉に従うかどうか、たとえそれが彼の命を危険にさらすとしても従うかどうかに、すべてがかかっている。サタンに対する我々の戦いでも同じである。我々が勝利を得るためには、我々の一人ひとりが心の中でいつでも次のように言えなければならない。「神が命じられることは何でもわたしは行います。神の御心にかなっていると示されたことは何であれ、すぐにそれを受け入れてそのために行動を起こします」と。この短い本を読むことがその助けになればと思う。
このことを私が書いたのは、読者である兄弟たちに、自分を開いて、神の言葉に従って述べられていることに無条件に服従する精神に、すべてがかかっていることを思い出してもらうためである。
どうか神がその大いなる恵みによって、我々が互いに思いやり、助け合い、祈りの戦いにおいて互いに力づけ合うような関係の絆があることを、本書によって明らかにしてくださるように。その祈りによって敵は打ち負かされ、神の生命が栄光の内にあらわされるのである。
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