補註12  良  心

第二十一章



 もし人間が宮によって象徴されるべきものであり、人間の霊が神の住まわれる至聖所であるとすれば、その中に良心を象徴するものの所在と意味とを特定するのは難しいことではない。それは契約の箱にほかならない。そのように特定する理由は三つある。神の律法はその箱の中に納められ、箱とともに運ばれた。良心とは神の律法がその中に書かれている権威である。律法は異教徒の心の中にも記されているし、信者の心の中に聖霊によって書き写されてもいるが、いずれにしても律法がそこにある分だけ、良心もまたその固有の働きをなすことができる。良心とは箱がそうであったように律法を収め保持するものなのである。契約の箱には贖罪所が備えられ、その上に犠牲の血が注がれ、また神を礼拝するための恵みの座が設置されていた。同じように、血が私共に適用されるのも特に良心においてであり、私共が神に受け入れられる者となったことを聖霊があかしするのも良心においてなのである。契約の箱はまたあかしの箱とも呼ばれた。神の律法はまたイスラエルに対する神のあかしでもあったからである。同じように、心に生ける律法を記す聖霊は、贖われた人々に対する神のあかしであり、神の意志と神の愛を証言する証人である。そして良心は私共の霊にある器官であって、血を注がれ、子供のような服従の生涯を守る守衛として立っている。聖霊のあかしはこの良心に対して、またそれを通して与えられるのである。『わが良心聖靈に感じてあかしす』(ロマ書九・一、二)とあるとおりである。

 イスラエルの人々の間で契約の箱はどれほど大切に扱われてきたことであろうか。また彼らがカナンとその民を征服するためにヨルダン川を渡った時には、彼らは契約の箱にどれほどの信頼を置いてそれに従ったことであろうか。エリコの城のまわりを契約の箱を持って進んだ時に、彼らはどれほどの静かな期待を抱いていたことであろうか。また彼らが契約の箱のために場所を整え、神がそこに臨在されると宣言した時には、どれほど大きな喜びがあったことであろうか(詩篇百三十二)。キリスト者よ、何にも増してあなたの内にあるあかしの箱を大切にしなさい。聖霊の律法がその中にあり、血がその上に注がれている。そこはあなたの神が住まわれ、休まれ、あなたと言葉を交わす場所なのである。そこは神と心とが出会う場所であり、交わりの場であって、信仰の座であるとともに神の御座みざでもある。他の何事にも優先して、あかしの箱の上にとどまる聖なる臨在の前に畏れと崇敬をもってひれ伏しなさい。責めのない良心を保ちなさい(使徒二十四・十六)。



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