第 十 六 日



なんぢもし彼にむかひてなんぢの心を定めなんぢの手をべ 手に罪のあらんにはこれを遠く去れ …… すればなんぢかほあげきずなかるべし …… なんぢの生存いきながらふる日は眞晝まひるよりも輝かん 假令たとひ暗き事あるともこれ平旦あしたのごとくならん』(ヨブ記十一・十三〜十七

 しゅしゅたみとは如何ばかりの歓喜をもって毎朝のまじわりをいたしますか。朝はしゅとその民にとって如何ばかり祝福されたる時でありますか。又如何に彼等はそれを味識いたしておることでありますか。これは今迄いままですでに私共が見させられて来たことであります。そればかりではありません。私共は又朝こそは実にしゅイエス御自身の象徴、『彼は……雲なき朝のごとく』(第十二日)にていまし給うことも見て参りました。ここに更に進んでお約束があります。信者自身、彼は朝の如くなるというのであります。

 これは如何ばかり深い意味でありましょう! その意味は暗黒ののちの光明ということであります。これがクリスチャンの生涯であります。『われに從ふ者は暗きうちを步まず、生命いのちの光をべし』(ヨハネ八・十二)としゅイエスは仰せ給いました。

 それで朝は一日の始めであります。そこからますます輝き、輝きより輝きにと進みます。『義者たゞしきものみち旭光あさひのごとし いよいよ光輝かゞやきをまして晝の正午もなかにいたる』(箴言四・十八)。

 朝は周囲をましながら、喜悦よろこびをまき散らします。『なんぢ平旦あしたのごとくならん』との聖言みことばの中にはこの意味も含ませられておるに相違ありません。

 さらば、基督者よ! あなたは『朝』の如くあることを望みますか。さらば如何にしてかくあるべきかをこれらの聖言みことばから学びなさい。『なんぢもしなんぢの心を備へ彼にむかひてなんぢの手をべなば』これは祈禱に於てであります。祈禱に心の準備が伴わなくてはなりません。あかつきの静けさの中に、神の前にあなたの心を全く静めなさい。聖なる黙禱を保ってのちにのみ、神に語りかけなさい。『わが心さだまれり 神よ わがこゝろ定れり』(詩五七・七)と。『手に罪のあらんにはこれを遠く去れ』。すべての罪は打捨てなければなりません。さらばあなたはあけぼのつばさに乗りて駆する如くに『輝ききたり』ましょう。『平旦あしたの如くに』なりましょう。朝を神に献ぐることに忠実でありなさい。さらば神はあなたのうちに朝を昇らしめ給いましょう。あなたを朝の如くにするをよしとし給いましょう。



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