NOTES

ON THE

GOSPEL OF JOHN

BY

BARCLAY F. BUXTON

TRANSCRIBED BY
HORIUCHI BUNICHI

1900


ビー、エフ、バックストン 講義
堀内文一 筆記

約翰傳講義 全

明治三十三年三月印行
日本聖公會出版社



例   言

一 本書は毎週二回開かるゝ松江赤山聖書硏究會に於てバックストン師が明治三十年四月よりどう三十一年六月まで立證せられたる約翰ヨハネ伝福音書に於る光を筆記せるものなり。
一 本書は世間在來の註釋書類と全くその趣を異にし批評的研究的ならずして立證的心靈的なるは讀者の容易に判斷し得るところなるを信ず。
一 本書は師が祈禱の中に語り筆者が祈禱の中に聽き祈禱の中にしるせしものにして文體は言文一致を用ひたれば寧ろ迂遠なるが如しといへども讀者し祈禱の中に聖靈の光を求めて讀まるゝならば必ず其深意を了得せらるゝべしと信ず。
一 緖論および第一章は筆者の講筵こうえんに洩れたるところにして後よりこれを補へるものなれば第二章以下に比して自然同じからざるものあるべし。

 明治三十二年九月
                            筆 者 識




第四版発行に際して

 本書は故ビ・エフ・バックストン師が、明治三十年四月から三十一年六月まで毎週二回松江赤山の聖書研究会においてされた講義の筆記である。筆記者は故堀内文一氏で、同氏はすでに十七年前、主の御国みくにに移された。
 明治三十年といえば(一八九七年)約六十年も昔のことで、当時に比べるとすべてのことがうつり変わり隔世の感がある。当時この講義の席に列せられた人々の大半はすでに天に移された。しかし福音の言は今なお光をはなち多くの人々をして本書の再版を熱望されるので、その刊行に取りかかったのであるが、まず第一の困難は聖書の言葉である。本書に用いられていた聖書は元訳で、現代はすでに口語訳の時代である。元訳では若い読者のために困難である。せっかく版を新しく作るのであるから口語訳に改めたが本文としっくりしない点があって誠に不本意であるがなんとも致し方がない、といって本文全体を書き直すことは本書の特長を失うようにも思われ、また先輩の労に対しても申し訳なく思われるのでそのままにした。
 特別に理解を願いたいことは本書は著作でなくて講義の筆記である。しかも日本人のものでなく英国人の日本語による筆記であるからどことなく変わったところがある。これが著作であると文章もよく整っているが、講義の筆記というものは文章としてはなかなか困難なところが多くある。しかしこれに一つ一つ手を加えていると全くその形を変えてしまうのでこれもなるべくそのままとした。
 これが本書の特長でありまた欠点でもある。しかし要はかつて多くの人々に霊の祝福をもたらした本書が更に多くの祝福と霊の恵みを読者の上にもたらせることである。

  一九五六年三月
                            発行者識す



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