第十一章 信仰の試験



 『試鍊こころみに耐ふる者は幸福さいはひなり、これしとせらるる時は……生命いのち冠冕かんむりを受くべければなり』 ヤコブ書一章十二節

 聖ペテロはその書翰においてキリスト者の宝物を想起せしめる。すなわち彼は、五つのはなはだ貴きものを挙げている。その一つは『信仰のためし』(ペテロ前書一章七節)である。神が私共のつと言い顕すものを試みたもうことを、最も肝要な法則として受けるは私共によきことである。そして神が私共を試みたもう大試験の一つは信仰の試験であり、今ひとつは従順のそれである。
 さて悪魔は悪を引き出そうと試み誘い、主は善きものを引き出すために試験したもう。さればヤコブの『なんぢら各樣さまざまの試鍊に遭ふとき、只管ひたすらこれを歡喜よろこびとせよ。そはなんぢらの信仰のためしは、忍耐を生ずるを知ればなり』(ヤコブ書一章二、三節)と言えるごとくこれを喜びとすべきである。また『忍耐は……希望を生ずと知ればなり。希望は恥をきたらせず、……聖靈によりて神の愛、われらの心に注げばなり』(ロマ書五章四、五節)である。試みられる時これに堪え、仇に立ち向かいて立ち、すべてのことを成就し、争う敵を足下に踏んでなお立ちとどまり得る者はかかる者である。
 さればこれより、聖書に記されてある、試験を経た霊魂の実例を見、彼らの祝福された秘訣を学びたい。

一、信仰の願望の試み

 創世記三十二章二十四〜三十二節、三十五章九〜十二節を見よ。

 願望は霊魂の脈搏である。それゆえに私共は自己の願望の強さを試すことによって心の鼓動をよく試し見ることができる。熱心に神を求めると言い、羔羊こひつじの行きたもうところは何処でも、彼を求め従いまつることを願うと言いあらわす者は、主が尋常ならぬ仕方によって試みたもうことを期待すべきである。
 イザヤの預言第四十章において、聖霊がエホバを待ち望む者に与えたもうた約束は、多くの人を励ますことであるが、その第二十七節を見ればこの経験はペニエルにおけるヤコブのそれと密接な関係を持っている。ここに彼の二つの名、すなわち旧名ヤコブと新名イスラエルが見える。神がアブラムやシモンやサウロの名をえたもうた時には、その後に旧名の用いられることがあっても、それは極めて稀であるが、ヤコブにおいてはそうではなかった。彼のペニエルの経験の後にも幾度もヤコブの名が出てくる。創世記第二十八章を見れば、ヤコブはそのとき著しい回心をしたがその後の経験ははなはだ上り下りのあるものであった。彼の荒野あらの彷徨の経験ははなはだ多く、不信仰に陥ったり、自ら求め自ら計画したことなどは傷ましくもはなはだ明らかである。されど主はついに彼を彼自身の極みにまで連れきたりたもうた。ペニエルにおけるヤコブの力比べは誰も知る、あまりにも有名な話である。彼は神によって跛者にせられ、彼の奥の手の逃げ出す力を奪われたので、今はただ怒れる兄と、神の仁慈に全く身を投げかけるのほかはなかった。
 彼はペニエルにおいてその受けた恵みとその名の更えられたことを感謝しながらも、なお足らぬものを感じ、祝福したもう御方の名を示されんことを求めた。彼は神がその祖父アブラムに新しき名を授けたまえるのみならず、エルシャダイ(全能の神)なる御自身の驚くべき御名みなを示したもうたことを思い出したであろう。『なんぢの名をつげよ』と叫んだ。これは神の彼に顕そうと企図し計画しまたこれを顕すことを喜びたもうところで、結局彼に顕したもうたのはこの同じ驚くべき御名であった(創世記三十五章十一節)。けれども試験の来たのはこの時である。『汝の名を告よ』とヤコブは叫んだが、神は彼を試みるためにその顕示を控えたもうた。それは拒否であったかと言うに、決してそうではない。もしただ彼が信仰を固執しさえしたならば、もし彼が願望を否まれることを拒み敢えて強請したならば、彼は後に主がベテルにおいて与えたもうた(第三十五章)ものをそのときに得たであろう。しかして第三十三章に語られているごとき悲惨な失敗、第三十四章に記されているごとき悲劇的恥辱から救われたことであろう。悲しいかな、彼は願望の固執によって全部の恵みを確受し得べきところに、ただ半ばの恵みのみを受けたのである。
 私共の経験においても、ただ謙って私共の失敗荏弱じんじゃくを知っただけでは充分でない。また新しい名と新しい力の約束を得たことだけでさえ充分ではない。全能の神の御名が魂に顕示されるまでは、失敗・困難・蹉跌あるのみである。たとえ私共がヤコブのごとく神に対して力を持つと示されても、その神が全能の神でいますことを、神的啓示と経験的恩恵によって知らされるのでなければ、それは何の益にもならぬ。
 私共もその熱望する魂に全き啓示の与えられるまでは、信仰の願望を決して息めず、拒否を肯んぜず、固執強請して止むべきでない。

二、信仰の決心の試み

 ルツ記一章八、十一、十二、十五節

 ルツはただ異邦の一女子であった。(ルツ記一章を見よ。)彼女はイスラエルの神については何も知らなかった。彼女はなお年若く前途の希望もあった。彼女はその相嫁あいよめオルパのごとく、しゅうとめナオミと共に、彼女は異郷なるその地に行くならば、この世において何の希望もないと考えたことであろう。しかしともかく二人とも姑に随ってその故郷に帰り行くことを決心したのである。けれどもかかる容易な決心は試みられねばならぬ。ナオミとしては真心からでない者を連れて帰るよりは、むしろ独りで淋しく帰り行こうと覚悟を決めていたのである。
 最も善い志をもって出発しても、途中で外れていったり、躊躇したり、遂にはかの天路歴程の物語にある「薄志者」が泥沼から上るや否や、もと来た道に引き返したように、帰り行く者の如何に多いことであろう。
 ナオミが彼女らに「帰れ」と言えば、彼女らは泣いて「我ら汝と共に行かん」と言った。けれどもナオミが繰り返して「帰り行け女子等むすめらよ、帰り行け女子等よ、我は最早汝等なんじらに何も為すことが出来ぬから」と言えばオルパは自己のよりよきみちを考えて、その姑に接吻してその国人くにびとに帰った。彼女はその名が書き残されたほか何も残さぬ。しかしその名はカイン、エサウ、イシマエル、パリサイ人、さては放蕩息子の兄と共に、かの狭き道を失って、その十字架とかんむり、その恥辱と光栄、その損失と報償にあずかり得ない、代々よよの多くの人々の名と同じ悲惨な名である。されど『ルツはこれを離れず』(十四節)と記されている。彼女の決心は確かに試みられた。ナオミは再び『汝も相嫁にしたがひてかへるべし』(十五節)と勧めた。後年主イエスが御自身に従い行こうと自ら志願した者に『狐は穴あり、空の鳥はねぐらあり、れど人の子は枕する所なし』(マタイ伝八章二十節)と仰せられたごとくに、ナオミも極度までルツを試みなければならなかったのである。信仰の決心は試みられねばならず、その費えは測られねばならぬ。それは花咲き薫る途でなく、むしろ荊棘の途であることを覚悟せねばならぬ。かくてルツは断然と「いな、我は汝の往く所にゆかん、わが信仰は定まれり、汝の神はわが神、汝の民、汝の家、汝の国、汝の墓はまたわがものである」と答えたのである。
 さて、私共はオルパのすえであろうか、ルツの裔であろうか。私共は単に神の子供としてばかりでなく、主イエスが『わが母、わが兄弟は、神のことばを聽き、かつ行ふこれらの者なり』(ルカ伝八章二十一節)とおおせられた、その意味での、主の母、兄弟姉妹として数えられるべき者の継承者であろうか。まことに主の母兄弟姉妹とは驚くべき言葉である。もしむべき主ご自身が信じしたがう弟子等の唇に入れたもうでなかったならば、誰が敢えてかかる言葉を口にするを得ようか。

三、信仰の動機の試み

 出エジプト記三十二章七〜十四節

 モーセは久しく、かのつぶやむさぼり、心にて後戻りして、不信仰に浸潤した神の民の重荷を負うて来たが、彼らの背叛はついに偶像崇拝となって顕れた。モーセは大胆にも信仰を固持して彼らの赦免と回復を嘆願し、そこで神の厳かな怒り憤りに会うべく再び山に登った。
 神はイスラエルを『なんぢがエジプトより導き出せし汝の民』(七節)と言い、『我この民を觀たり……我をとゞむるなかれ 我……彼等をほろぼつくさん しかして汝をして大なる國をなさしむべし』(十節)と宣言したもうた。モーセは直ちにこれに答えて、何故『汝の民』また『この民』と言いたもうか、これは「汝の民」すなわち神が導き出したもうた神の民であると言って、「この民」という呼称を全く拒み、続く祈りのうちに、彼らが神御自身の民なることをおもいださしめ奉り、神の彼らが御自身の民たるを拒否したもうことばを受け入れなかったのである。実にここに、信仰の大胆、神のよみしたもう大胆がある。人が神の恩寵を崇めて、思い切り信頼し奉るとき、神は如何にそれを悦びたもうことぞ!
 されどそこにそれ以上のことがある。モーセは続けて祈る。「我は大いなる国と為されることを欲しない、我を意としたもうな。我は何者にもあらず、我は取るに足らず、汝もし汝の民を滅ぼしたまわば汝の御名、汝の誉れ、汝の約束はいかになるべき。アブラハム、イサク、イスラエルを憶いたまえ、汝の約束は彼らに与えたもうたので、我に与えられたものではない。もしただ汝の御名、栄光、約束が擁護されるならば、我は永久に抹し去られるもこれを喜ぶ」と。
 何たる信仰の勝利のここにあることぞ! 私は神がそのしもべを試みるためにのみ、かく語りたもうたのであるとしか思わない。たしかにそれは神が御自身の民を棄て、自らそのアブラハム、イサク、ヤコブに対してなしたもうた契約に背きたもう思召おぼしめしではあり得ぬのである。
 私共はかかる試みに堪えたであろうか。私共を大いなる名となし、大いなる国となすと聞いたならば、私共よりさらに霊的でない肉的の人々を犠牲にしても、かかるお申し出に飛び付いたではなかろうか。
 神は必ずこの試みのごときかかる或る仕方で私共の信仰の純清を試し見たもう。少なくとも小さい範囲でモーセのごとく奉仕と能力の地位に召された私共の信仰をかく試したもうことであろう。私共の心にとって、果たして神とその栄光がすべてのすべてであるであろうか。私共はモーセの遭えるごとき試験に堪えて「勝つ者、また勝ち得て余りある者」として進み行き得るであろうか。

四、信仰の固執の試み

 マタイ伝十五章二十一〜二十八節

 異邦の女ルツのことは既に学んだが、ここに今一人の異邦人のことを学びたい。元来暗い彼女の心にも、神の選民との交わりによって光が射し込んだのであるが、なお善きことには、義の太陽であるキリストの光線がその暗い生活を照らしたのである。彼女の娘がはなはだしく苦しんでいたので、彼女はそのなやみの中に主を求めてきた。ほかの時またほかの場合には早速応答を賜ったが、ここでは主は極端まで験し試みることを必要と思ったのである。彼女がユダヤ人ならば試みたもうも不思議ではないが、かくも異邦人を試みたもうたのは何の目的であったろうか。『イエス一言ひとことも答へ給はず』『我はイスラエルの家のせたる羊のほかにつかはされず』『子供のパンをとりて、小狗こいぬに投げ與ふるはからず』と三度も気味の悪い拒絶の言が記されている。しかし主イエスはその取り扱う材料を知りいたもう。多くの者は、かく試みられては失望に落胆してしまったであろう。あなたや私であったならば如何にしたであろうか。しかし主はただにこの女の求めを与えたもうたばかりでなく、彼女を永久に信仰の勝利の記念となしたもうた。主はそれを不信仰な御自身の民に対する戒めとなしたもうと共に、あらゆる時代を通して、主の沈黙、非難、拒否にも屈せず、全能の優しさ、愛、能力を執拗に信じ貫く多くの人のために奨励となしたもうたのである。
 彼女はその信仰を主ご自身に置いた。彼女は主の能力と恩寵と慈愛を信じた。疑いもなく彼女の熱心な願望と急迫せる必要とはまた彼女の信仰に妙味と活力を与えた。各方面からの無数の証拠が彼女の信ずる心を動かしたであろうけれども、唯一の希望は主にあることを知って自らを顧みなかったのである。
 そして後に、彼女は主よりかくも貴まれるに足る者とせられたことを喜びとして、いかにその試練を誇ったことであろうか。
   「波静かなる船旅に、
     エホバの神の大能の
    御手みてに委ぬるてふことは
     こともなしとや思ふらん。
    風吹き荒れて波立ちて
     沈むばかりの船中に
    わざを執る身は、とにかくに
     信仰なくて堪ふべきか」
 これは通俗的な詩句であるが、また幸いにも神学的で、あらゆる聖徒の経験にも合っている。
 たとえ表面的にはことがいかに見えるとも、極端に御自身を信任し奉ることは神の嘉したもうところである。しかしてそれは真のキリスト者のすべての特徴の中、最大なるまた最も崇高なる特徴である。それはすべての品性の基礎であり、私共のすべての霊的道徳的機能を訓練し強めるために神の定めたまえる途である。

五、信仰の限度の試み

 ヨハネ伝第十一章

 神が信仰を試験したもう時には常に深い目的を持ちたもう。神は気紛れに事をなしたもうようなことはない。神は私共がいよいよ多くを結ぶためにきよめ、またつ者にはなお多く与えることをなしたもう。されば信ずる者はその信仰を働かすべきさらに大いなる場所に導かれ、すなどる者は必ず海の深処に漕ぎ出さねばならぬ。かの幸いなる三人兄弟マリア、マルタ、ラザロにとってもその通りであった。そのとき救い主に言い送られた急ぎの便りは『主、よ、なんぢの(我等のでなく)愛し給ふものめり』(三節)であった。かく幸いにも優しくラザロに対する親愛を主に思い起させまつることは特に主の御心みこころを満足せしめたのである。主は『この病は死に至らず』(四節)と彼女らを安堵せしめる御言みことばを送りたもうたけれども、彼女らの信仰がその緊張に堪え切れぬに至るとき、彼女らの心にどんな憂慮心痛が来るかもよくご承知の上で、『ラザロの病みたるを聞きて、その給ひしところになほ二日とゞまり』たもうた(六節)。彼女らはその愛する者の次第に衰弱してゆき、かつてなきほどに熱の高まり行くを見守りながらも、なお主の無謬の御言に信頼しそれに安んじていたであろう。
 彼女らは終わりまで、彼の癒えることを信じ続けた。けれども遂に生命と熱のほのおが最後の閃きとはばたきをなして絶え、彼女らの眼の前に横たわる死体が、彼女らの最後まで持ち続けた、ける神の子に対する信仰と大胆を嘲るかのごとく見えたとき、彼女らの心の悲しみと共にその思念の驚愕混雑はどんなであったであろうか。私共はその日彼女らが使者に向かい「主は何と仰せられたか、主の仰せ給える御言をそのまま聞かせよ」と尋ねたであろうと想像する。そして使者が「主の御言は至って明白で、われらの兄弟は死なざるべしというほかの意ではあり得なかった」と御言を繰り返すを聞いて、彼女らは驚き悲しみながらも忍んで主のきたりたもうを待った。かくて主は来りこの有様を見聞きして泣きたもうた。主は心を傷めたもうた。何故に主は泣きたもうたであろうか。或る人は「それは単なる同情の涙である」と言い、或る人は主が死の破壊的な残虐性を見て悲しみたもうたのであると言う。されども真理そのものでありたもう主が、ただ少時にして、甦ったラザロを見て彼女らの涙の拭い去られるべきを知りながら同情の涙を流したもうことはあり得べしとも思われない。むしろそれは主の最も親愛の友のうちにも不信仰のあるを見、そのために心を傷め悲しみ泣きたもうたのである。主の御足みあしもとに坐り驚くべき生命の御言を聞いたマリアがいかにして疑うことができたであろうか。エルサレムの背叛と傲慢のため泣きたもうた主は、いま御自身の弟子等の不信仰のために涙を流したもうのである。
 けれども主がかく彼女らを試みたもうにはどんな目的があったであろうか。彼女らは三つの学課を学んだ。彼女らはその悲しみと喜びの涙を通して三つの恵み深い幻を見た。
 マルタは主が復活でありたもうことを教えられた。彼女は人々の復活するは、終わりの日であるゆえラザロもその日に復活すると考えていたが、今、彼女は復活の主のゆえに人々が今復活するということを発見した。
 マリアは、もしただ信ずるならば、極端なる奇蹟、全く不可能事である、死よりの生命、神の恵みであるとともに栄光そのものを見るべきことを学んだ。
 ラザロは主がただ病の癒し主であるばかりでなく、死の征服者でありたもうことを教えられた。これらは実に体験の学校においてのみ学び得る幸いな学課で、大いにキリストの栄光を崇めるところのものである。それによって、彼女らが慰められ強くせられたばかりでなく、かつてなきほどに主が彼女らの目に高く挙げられ、崇められたもうたのである。彼女らはその日喜びの涙を流しながら、必ずや、主が彼女らをして通らせたもうたその苦難の道とその試錬の厳しさをゆえをもって、主を讃美したことであろう。
 おお主よ、願わくはきたるべき日に私共に遭わしめるを善しとしたもうすべての試練に私共が堪え得るよう、主にあって、その大能の勢威によりて強からしめたまえ。

六、信仰の純清の試み

 申命記八章一〜五節

 聖徒にして、その経験におけるエジプトと紅海を後にするや否や、一足飛びに乳と蜜の流れる地に入ることを欲せぬ者はない。その上に私共の大いなる救い主もまた私共が遅滞なく、出来得るだけ迅速に、そこに入ることにつき、私共自身よりなお深い関心を持ちたもうこともまた大いに真実である。そして或る少数の人々がそのエジプト脱出後、非常に早く実際に聖地入りを経験することは幸いにも真実であるが、ほかの多くの人々にとってはそうではないのもまた否めない事実である。何故かくあるか、その秘密が申命記第八章一〜五節に記されている。私共は私共の心中にある私慾と不信仰を知らない。私共はかつてエジプトの葱蒜ねぎひるを愛好したように、カナンに入るにもただその地の乳と蜜を求めるのみ、すなわちその霊的快楽と満足とのみを目当てにする。
 されども主は申命記八章二節にあるごとくに服従を求め、三節にあるごとく御言みことばに対する信仰を求めたもう。主は私共の目的のきよきことを願い、主の与えたもう慰安でなく、主ご自身を私共の願望とすることを望みたもう。私共のしばしば失敗するはここである。私共は自己のうちに如何に多くエジプトの空気や仕方がなお残存するかを試みられも示されもせぬままに、すぐにカナンの聖地に入らしめられることを期待し、聖地に関する神の約束を見るや敢えて御言を信ずる、すなわちいかに迅速に全き聖化を信ずることぞ。されども私共がそこに入り得る前に、神はまず私共をへりくだらせ、私共の心如何を試みるために試練の中を通らしめたまわねばならぬ。
 モーセやカレブやヨシュアのごとく、なお荒野あらのにありながら、その魂の中に実際カナンの安息を享受している人は幸いである。かかる人は荒野のマナも約束の地の乳や蜜のごとく甘美に味わわれ、神がその心を試みることを必要と思し召す間、喜んで信仰と忍耐の試練に堪えるのである。されば前に掲げた申命記の聖語は注意深く読みまた味わうべきである。願わくは神がこの聖語をその最も深い意味で、すべて私共の生涯の祝福となしたまわんことを。

七、信仰の忠実の試み

 ルカ伝十九章十二〜二十七節

 『行爲おこなひなき信仰は死にたるもの』である(ヤコブ二章二十六節)。活ける信仰は戦いにおいても、奉仕においても常に働きまた祈るものである。私共を精錬したもう神はこの点においても私共を坩堝るつぼに入れたもうのである。
 ここに或る貴人が王の権を受けて帰らんと遠国に行ったということが書いてある。この人は必ず小さい酋長のような者ではなかったであろう。彼は必ず大いなる期待、大いなる目的、大いなる功名心をもって、また疑いもなく大いなる旅装を調えて堂々と旅立ちしたであろう。彼は貴人と呼ばれているが、むしろ王侯と称えた方がよいくらいの人であったであろう。この人がその出発に臨み、その十人のしもべどもを呼び、自分の帰るまで行きて商売するため、資本として金十ミナを渡したのである。(十ミナは今の英貨三十ポンド二シリング六ペンスに相当する。)その地の民が彼を嫌い、後より使いを送り『我らはの人の我らの王となることを欲せず』(十四節)と言ったのは不思議であろうか。彼らは考えた、「何たる吝嗇ぞ、家来どもに留守を命ずるに何たるみすぼらしい仕方をすることぞ。われらを取り扱うに王の臣下のごとくせずして小商人のごとくするとは何ごとぞ、もし彼がその家来どもに大いなる軍備を与え、遠地を征服するようにでも命じたならば、彼が王権を受けて帰ると公言するに相応しいであろう。それならばわれらとてもそれに従って戦ったであろうものを。しかるに何事ぞ、行商人のごとき者として取り扱うとは! 彼とはもはや縁切れだ! 彼は王権を受けて帰ると言う、それと残しおける十ミナとはなんの関係がある。どうしてこれらの僕等が彼の帰る時、その言うところの王国において責任の地位を得ることが期待されるであろうか。全体が滑稽至極だ」と。彼らはこんな風に考えたのである。
 今日この世の語るところ、世俗的教会の振る舞うところはあたかもその通りである。彼らは立派な設備、機械装置、大伽藍を信じ、法王や監督を信じ、国教を信じ、盛儀盛観を信じ、また大会議会など、何か目立つもの、非宗教者の想像に何か印象づけるようなものに信頼するのである。
 されど神のみちは我等の途と異なり、神の思いは我等の思いと異なるのである(イザヤ書五十五章八節)。主が天に行きたもうときこの種の何物も遺したまわなかったが、はなはだ貴重なものをその弟子等に遺したもうた。それはただ十ミナのごとく、この世の人の目には全く無意義な、全く賤しきものと見える。心中における聖霊の賜物、すなわち信ずる者の心に宿る信仰と愛の霊であった。これが見るべきキリストの王国を建てることと何の関係があるだろうか。もし目見る所により、耳聞く所によって定めをなすならば、それは何でもないけれども、忠実な僕はそのしからざることを知っている。彼はその種の智慧を知り、またそれに信頼するのである。僅かな数ミナの資金の取り扱い方と、主の顕れたもう時に任ぜられる町々の司配とにどんな関係があるかと議論するは僕の分ではない。彼のなすべきことは明白である。それはしたがうこと、行うこと、つかえること、働くこと、いと小さきことに忠実なこと、そしてその結果は彼に委任したもうた主に一任し奉ることである。
 そしてなお失敗する僕があり得るのである。すなわち一人の僕はこの人を王とすることを好まぬこの地の「民」のごとくではなく、ほかの「僕等しもべら」とともに命令を受け責任を取ったのであるが、自己の無能無力無経験を知り、委ねられたものを失うことを恐れ、主人の帰るときこれを返し得るよう金子を隠して置いたとたとえのうちに言われている。彼は父の財産を浪費した放蕩息子と異なり、この貴重な宝を保存するために大いに心を用いた。しかし彼は今日の多くのキリスト者のごとく、その主の恵みの企図、すなわち計画につき何の幻も有たなかったのである。そしてこの驚くべき物語はその失敗の秘密を極めて明瞭に示している。
 主人がその僕等の奉仕を調べるために帰りきたった時、忠実な僕等は「なんぢ一ミナは十ミナ、また五ミナをまうけたり」と答えた。そのごとく聖パウロも『すべての使徒よりも我は多く働けり。これ我にあらず、我とともにある神の恩惠めぐみなり』(コリント前書十五章十節)と言っている。この僕の言うところは、これをなしたのは「我にあらず、汝のミナなり」で、主の答えは『善いかな、良き僕、なんぢは……』である。ここにその秘密がある。すなわち忠実な者は与えられたミナに目を着け、ミナのおのずから増殖するもの、すなわち適当に投資すれば自ずから増加することを見た。彼は自己の無能無力無経験を自覚していたが、その金を銀行に持ち行き、その固有の増殖を見守っていたのである。これはその昇天の主によってその真の信者に与えられた聖霊に何たる幸いなる絵画であることぞ!
 この絵の反対の方もまた等しく厳かな教えをもつ。不忠実な僕も自己とその荏弱じんじゃく無能から目を離し得なかったが、彼はその主の賜物にある驚くべき価値も能力も効力も見なかった。彼はその主の智慧に対する真の幻を有たなかったのである。されば自然に、彼は自分のごとき者に何事かをなさせようとするその主人を厳しい無理な人であると信じたのである。この僕は反逆したこの地の民よりまさっているのは無論であるけれども、悲しいかなその主人を全く失望させた。語を換えて言えば、彼の信仰が、実際生活の酸性試験に遭って最も悲惨に失敗したのである。
 神と神の賜物とに対する活ける信仰のあるところには、神に対する幸いな成功ある奉仕の果が必ず伴うものである。そして主の顕れたもう時に、私共は与えられた十ミナ(ミナは一ポンド二シリング六ペンス)と神の国の町々の司配との間に密接な関係のあることを知るに至るであろう。
 願わくは神がこの厳かな教訓を私共の心に記したまわんことを。そして神が私共の信仰をばその願望、その動機、その決心、その固執、その限度、その純清、その忠実において試錬するをよしとしたもうとき、これをひたすら歓喜となし得んことを。かくてこそ主の顕れたもう時、それを主の讃美と栄光にし奉ることが出来るのである。



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