出 エ ジ プ ト 記 講 演

大正十四年一月より六月まで神戸市御影、聖書学舎における
ソーントン先生の聖書講演


エ ホ バ・ニ シ(主はわが旗)

──出エジプト記第十七章──



 出エジプト記十五十六章において、日常生活の問題、すなわち極めて平凡な衣食住の問題について学んで来ました。

 しゅイエスが伝道の初めに、マタイ福音書七章においてその弟子たちに教えられたこともこの問題であって、もし私達がかかる平凡な日常生活の問題において絶えず勝利を得ていなければ、高い霊的生活に対して勝利を得ることはできません。

 荒野あらのにおいて衣食住の問題について試練されたイスラエルの子孫が、この十七章において初めて真の敵に出会いました。十四章の終りには敵が海辺に横たわっているのを見ました。この敵は二度と彼らに攻め寄せては来ないのですが、ここでまた新しい敵に顔を合わせました。この時以来、あらゆる神の民は、すべての時代、すべての歴史を通してこの世の終りまで、この敵とは絶えず戦わねばなりません。この敵は亡ぼされて海辺に横たわってはいません。この敵はアマレクといいます。この敵はいつ来るかと言えば、彼の来る時に二つの時があります。その第一は

 『ときにアマレクがきて、イスラエルとレピデムで戦った』(出エジプト記十七・八

 すなわちホレブの岩が撃たれて水が流れ出るや否や、直ちにこの恐ろしい敵は偉大なる力をもって襲ってきたのです。アマレク、すなわちこれはふるき人の型、肉の人です。この敵は紅海で亡ぼされたエジプトの敵ではなく、終生神の敵として神の子たちをなやます恐るべき大いなる敵です。

 このアマレクびとはエサウの子孫で、ヤコブの子孫ではなく、家督の権を売った者の子孫で、肉の人のよき型です。これはイスラエルの子孫がエジプトから救出されてから最初に遭った敵で、この時より絶えずイスラエルの子孫を悩ました強敵です。

 サムエル前書にあるサウル王は、アマレクびとをことごとく殺せとの神の命令に背いてアガク王を連れ帰ってわざわいをこうむり、エステル記三章一節にあるユダヤ人の仇敵ハマンはやはりアマレクびとでした。

 新約の私共はすでにその罪はカルバリの十字架の上に釘づけられたことを知っています。しかしこの時より再びキリストが来られる再臨の時まで、教会に対する大敵はこのアマレクびと、すなわち旧き人です。これは神の民の終生の敵であって、この敵とは絶えず戦わねばなりません。あなたが聖別会に出て、今回は恵まれました、ハレルヤと手をたたいている時、この敵は現れて来ます。敵サタンはこの旧き人を用いて巧みに神の民を襲ってきます。しかし、感謝すべきことに、ここにも十字架による勝利があります。あなたのためにも、また私のためにも勝利の道があります。この敵が生きている間は勝利も必ずあります。

 しかし出エジプト記十四章にある紅海の戦いでは『主があなたがたのために戦われるから、あなたがたは黙していなさい』(十四節)と言い、イスラエルの子孫はそれらの敵とは戦わず、神ご自身が戦いたもうたが、このたびの戦では『われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい』(十七・九)です。すなわちこのたびは静まっているのではなく、あなたがたが『出てアマレクと戦いなさい』です。いよいよわれわれの戦です。しかし戦の方法は神の指図に従わねばなりません。

 『ときにアマレクが来て、イスラエルとレピデムで戦った。モーセはヨシュアに言った、「われわれのために人を選び、出てアマレクと戦いなさい。わたしはあす神のつえを手に取って、丘の頂に立つであろう」。ヨシュアはモーセが彼に言ったようにし、アマレクと戦った。モーセとアロンおよびホルは丘の頂に登った。モーセが手を上げているとイスラエルは勝ち、手を下げるとアマレクが勝った。しかしモーセの手が重くなったので、アロンとホルが石を取って、モーセの足もとに置くと、彼はその上に座した。そしてひとりはこちらに、ひとりはあちらにいて、モーセの手をささえたので、彼の手は日没までさがらなかった。ヨシュアは、つるぎにかけてアマレクとその民を打ち敗った』(出エジプト記十七・八〜十三

 ここに驚くべき二つの型が示されています。すなわちモーセとヨシュアの二人であって、モーセは丘の頂に、ヨシュアは谷にあって戦っています。この丘の頂にあるモーセは、父なる神の前にあってとりなしの祈りをされているキリストで、谷にあるヨシュアはこの地上に聖霊によって戦いつついたもうキリストの型です。そうですからこの戦いにおける勝利の秘訣は、とりなしたもうキリストを見上げて信じ、さらに聖霊によって働きつついたもうキリストに従うことです。これをしなければ必ず失敗です。勝利は得られません。アマレクとの戦いで、モーセが手を上げていなければ敗れたように、キリストのとりなしの祈りがなければ敗れます。ある人は、「主よ、あなたが助けて下されば私は勝利を得ることができます」と言いますが、この敵はあなたの敵ではなく神の敵です。それですからあなたが死んでしまっても神はこの世の敵と世々戦っておられます。同時に勝利もまた神のものであって、私共はただ彼を見上げ、彼の指図のままに信仰をもって従えばよいのです。

 皆さんがロマ書六章を見られるならば、ここに私共の敵アマレク(旧き人)が出ています。一章から三章はこの世、すなわちエジプトの地です。五章は称義、すなわち出エジプト記十二章にある過越です。七章は荒野、八章はカナンの地、すなわち約束の地です。神はすべての民がこの八章にある約束の地に入ることを待ち望みたもうのですが、多くの人々はここに入ることができず、荒野に彷徨してそこで死んでしまいます。しかし、どうすればこの約束の地に入ることができるかと言えば、

 『わたしたちは、この事を知っている。わたしたちの内の古き人はキリストとともに十字架につけられた。それは、この罪のからだが滅び、わたしたちがもはや、罪の奴隷となることがないためである。それは、すでに死んだ者は、罪から解放されているからである』(ロマ書六・六、七

 これを信ずることがすなわち勝利の道です。教会の祈禱会はよく誤りを犯します。なぜかならば、ある人はあまりに多く語りすぎて聞くことをしません。またある人はあまりに沈黙しすぎて寝込んでしまいます。しかしここにあるモーセは真の祈りのよき型です。彼が手を上げれば勝ち、手を下げれば敗れる。それですからアロンとホルが両脇に立ってその手を支えたため、一日中手を上げていることができ、その戦いに勝利を得ることができました。

 『どんな場所でも、きよい手をあげて祈ってほしい』(第一テモテ二・八



   燃 ゆ る し ば
        頒布価 ¥1,000
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昭和35年11月20日 初版発行

編輯者  落  田  健  二
発行所  バックストン記念霊交会
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