心 熱 き ク リ ス チ ャ ン



 今晩、私は「信仰によって受け取る」ということについて申し上げたいと思います。かりに皆様の友達が美しいご馳走を盛り飾ったテーブルを備えて皆様を招いたといたします。もし皆様がそれを召し上がらなければ、その饗応は何の役にも立ちません。このような大きな集会の一つの弊害は、集会に集まってきた多くの霊魂たましいが神様の恵みを示され、その聖言みことばを深く刻み込まれて或いは感動し或いは讃美致しますが、それを信仰をもって受け取らぬところにあります。今晩、私の心より願うことは、ここにおいでになる一人一人が神の最善を己がものとして受け取られんことであります。
 黙示録三章十四節より二十二節までをお読み致しましょう。

 『アァメンたる者、忠実なる真なる証人、神の造り給ふものの本源たる者かく言ふ、われ汝の行為おこなひを知る、なんぢは冷やかにもあらず熱きにもあらず、我はむしろ汝が冷やかならんか、熱からんかを願ふ。かく熱きにもあらず、冷やかにもあらず、ただ微温ぬるきが故に、我なんぢを我が口より吐出さん。なんぢ、我は富めり、豊なり、乏しきところなしと言ひて、己が悩める者・憐むべき者・貧しき者・盲目めしひなる者、裸なる者たるを知らざれば、我なんぢに勧む、なんぢ我より火にて煉りたるきんを買ひて富め、白き衣を買ひて身に纏ひ、なんぢの裸体はだかの恥をあらはさざれ、眼薬を買ひて汝の目に塗り、見ることを得よ。すべてわが愛する者は、我これを戒め、これこらす。この故に、なんぢ励みて悔い改めよ。よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が声を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん。かちを得る者には我とともに我が座位くらいに坐することを許さん、我の勝を得しとき、我が父とともに御座みくらに坐したるが如し。耳ある者は御霊みたまの諸教会に言ひ給ふことを聴くべし』

 主イエスはこのところに忠実なる証人、

真 な る 証 者

としてしるされております。クリスチャンが御自身の眼にどんなに映じているかをありのままに正直にあかししておられます。クリスチャンの心のうちはどんなであるか、果たして真に神とともに歩んでいるか、真に神の火を受けて忠実に歩んでいるかを彼は見極めていたもうのであります。
 この度、ここにお集まりの皆様お一人一人は共に神を求め、自らの真相を知らしめて頂くことを祈られとうございます。皆様がかく祈ることは厳粛なことであります。神様がそんな祈りに応えて私共の真相を真に示して下さいますならば、私共の心の衷には悲しみ、嘆き、失望を生ずるかも知れません。が、私は祈ります、皆様が彼の語りたもう聖声みこえに耳を傾けなさらんことを。愛する皆様よ、神様は私共を愛し、私共を懇ろに思し召していたもうお方であります。主イエスは、今晩、ここに、私共一人一人を審くお方として来りたまいません。真の神は私共を愛するお方として、私共がお互いに最善を願い得るお方として語りたもうのであります。
 さて、主イエスが私共に語りたもうならば私共の持っている各々の見解は変わるでありましょう。この黙示録の中にあるラオデキヤ教会の人々は自ら富み、自ら豊かであると思っておりましたが、これは間違った考えでありました。彼らは自らには少しも乏しいところがなく、欠けたるところがないと考えておったのですが、この集会にお集まりの皆様の中にもこのような考えをお持ちになっておられる人があると思います。けれども皆様よ、今晩注意して彼の語りたもうところに耳を傾け、彼の何と語りたもうかを聞きとうございます。
 主イエスはこれらの人々の心を探りたもう時に、その心の衷にある生ぬるいところを見たまいます。彼らには主イエスを愛する愛がなく、その衷には真の歓喜よろこびがなく、また火が燃えておりません。この状態を主は見出したもうたのであります、この人々は決して教会に来ないのではありません。集会に出席しないのでもなく、歌を歌わないのでもありません。疑いなくこの人々は祈りも致します。毎日熱心に日課に従って聖書も読みます。けれども彼らの心の中には本当の神の火がありません。従って捧げる祈りも生ぬるく、その祈りは二心からで、読むところの聖書からは何ら恵みを受けることができず、主イエスのことについて語っても何ら効果が伴わないという有様であります。
 主イエスはこの類の人々に、彼らが神の火を受けられることを望んでいたまわれます。もしも主イエスが私共一人一人の審判主さばきぬしと致しますならば、それらの欠点を見抜いてこれを取り払いも致しましょう。彼らをことごとく追い出し、吐き出し、打ち棄ててしまわれることでございましょう、けれどもそうではありません。主イエスはかえって愛をもってこれらの人々に近づきたまいます──彼らには神様に近づいて頂く資格は少しもございませんが。そして主はこの類の人々に神の最善を与えたもうのであります。ちょうどこの黙示録でそれらのことをお読み致します。主イエスの望んでいたもうクリスチャンは神の火に燃えているクリスチャンでございます。主イエスは今晩ここにお集まりの皆様になくてならぬものの何であるかを既にご存じであります。主イエスはこの驚くべき神の恵みを皆様が受け取りなさることを望んでいたもうのであります。

主 の 三 つ の 賜 物

 この黙示録三章十八節を見ますと、生ぬるい人々に主が与えようとしている三つの賜物があります。
  一、白き衣
  二、眼薬
  三、火にて煉りたる金
 この三つの大いなる賜物を今晩見せて頂きましょう。この三つの賜物は別々なものではありません。神様の与えたもう聖霊みたまの賜物を三方面から見ているのです。主イエスはまず私共に聖霊せいれいを与えたまいます。これにより私共にきよき心が与えられます。また、心の眼が明瞭あきらかになるために聖霊を与えたまいます。そして神の恵みである「火にて煉りたる金」すなわち聖霊を私共に与えたもうのであります。

一、 白 き 衣

 生ぬるくなっている、今にも消えかかろうとしている霊魂たましいに第一に必要なものは潔い心であります。
 詩篇五十一篇六節、七節を見ますと、

 『なんぢ真実まことをこころの衷にまでのぞみ、わが隠れたるところに智慧をしらしめ給はん。なんぢヒソプをもて我をきよめたまへ、さらばわれ浄まらん、我をあらひたまへ、さらばわれ雪よりも白からん』

 この聖言みことばは潔き心を求める祈りであります。私共の衷なるものの純潔──神様が見たいと願っておられる衷なる潔き──に対する祈りがこのところにございます。愛する皆様よ、皆様は定めしこれこそは自分の欲しいものである、心から願ってやまぬところのものであると言われることでありましょう。主イエスは今晩皆様にその神の恩恵めぐみを与えようとしていたもうのであります。すなわち白き衣を与えると仰せなさいます。
 ペテロ前書一章二十二節を見ますと、

 『なんぢら真理に従ふによりて霊魂たましいをきよめ、偽りなく兄弟を愛するに至りたれば、心より熱く相愛せよ』

 すなわちペテロがこの書翰の送り先の教会に白き衣を着よと書き送っていることを見るのであります。今晩もし皆様方にあかしを願うとするならばここに集まっている多くの方々が証をすることが出来るでありましょう。『主イエスは私に白き衣を与えてくださいました』、『私の心の衷を全く潔めて下さいました』と。けれども愛する兄弟姉妹よ、今晩私は皆様に申し上げたい。皆様は果たしてその恵みを喜んで受けて、その日その日の生涯において絶えず感謝しておられますか。
 また世の中にはこんな貴い神様の恵みのあることだに判らないでいる人々があります。先程の神の恵みの証は本当に神を崇める貴い証でありますが、世の多くの人々はその証を了解することが出来ません。ある宣教師は、一人の同僚もなく単身懐かしい故国を離れて、アフリカの山奥に入って伝道致しました。ところがその宣教師の留まっている部落から数マイル離れたところに人食い人種の部落のあることが知れました。宣教師は共に働いている土人とともにその部落のために非常に重荷を感じ、何とかしてその部落に住んで伝道したいと只管ひたすらに祈り求めておりました。充分祈った後に確信が与えられました。生命いのちを賭してその部落に行って伝道することを決心して、段々その部落に近づいて参りますと、妨げになるものは少しもありません。更に道を進めてその部落の入口まで参りましたが、やはり妨げとなるものがありません。そこで二人は部落の中央までも入っていってそこに天幕を建てました。すると部落の子どもたちがたくさん集まってきて二人の者を珍しげに眺めておりましたが、しばらくすると一人の子供がつかつかと宣教師の側へ来て、宣教師の手を取って触ったり、撫でてみたりして不思議そうにいじっておりまして、やがてその宣教師の顔を覗きながら、『先生、手をどこで洗ってこんなに白くしましたか』と尋ねました。
 皆様よ、今晩私共は神様に心一杯感謝をお捧げしたい。私共の黒い心を洗い潔めて下さる血潮の泉が開かれていることを讃美致しとうございます。かくて私共の真っ黒な性質は取り出されて神の驚くべき力によって白い、真っ白い心に代えて頂くことが出来る次第であります。
 主イエスが私共に提供しているその白き衣を与えて下さるお方は聖霊みたま御自身であります。皆様は主が如何に見事にこの驚くべき聖業を成し得たもうかを見て頂きたい。しかもただいまこのところでなし得たもう御方であることを見て頂きとうございます。主イエスはさながら皆様に静かに尋ねておられます。「お前は神がこのことをお前の霊魂たましいになし得ると信ずるか」と。おお愛する兄弟姉妹よ、ただこれを聞くばかりでなく、これを与えられるために主イエスに頼り、しかして主イエスのかく仰せになることを信ずるは、我らの当然なすべきことでございます。

二、 眼 薬

 主イエスの語っておられるもう一つの恵みは、これらのことを見させて下さる眼薬であります。世の中には本当に眼のかすんでいる人があります。ちょうどそれと同じように教会の中にも眼のかすんでいる信者がおります。神様の愛を何ら知ることが出来ません。十字架の力のどれほど大きいものであるかをも認めることが出来ません。時に皆様が旅行をすると致しましょう。もし汽車の窓がくもっているならば少しも外を見ることが出来ません。どんなに素晴らしい良い景色のところを通っても、外の方は少しも見えないのであります。神様は聖書の中に素晴らしい景色を掲げ示しておいでになります。けれども多くのクリスチャンはその素晴らしい光景ありさまを見ることが出来ません。それらのクリスチャンは眼がかすんでいるのであります。心が惑うのは、その衷に曇りがあって、神様の恩恵めぐみを認めることが出来ないからであります。私は今晩、愛する皆様方が神様についてもっと確実に、もっと深く尋ね知りたいと願っておいでになると思います。十字架において顕されている神様の犠牲の恵みを、また神様の能力ちからを悟りたいとの願いをお持ちになっていることと思います。主イエスはこの皆様の心からの願いをご存じなので、その願いをかなえさせようとしていたまいます。ただそれを皆様方に見せて下さるばかりでなく、準備していたまわれます。聖霊みたまこそはその眼薬でございます。
 おお皆様よ、聖霊が降る時、かすんでいる眼は明らかになり、神の恩寵めぐみの御姿は目の当たり拝せしめられるのであります。どなたの心の中にも、聖霊が臨む時、その心は聖言みことばを愛するように変わって参ります。聖言を絶えず黙想いたします。その中より更に幸いなる糧を摂取するようになります。心の衷は幸いなる神の恵みにより豊かにされるのでございます。かくして皆様の心の願いは応えられて、かすんでいる目は明らかにされ、「汝の聖言の中なる奇しき聖業みわざを見せたまえ」との祈禱は応えられる次第であります。愛する兄弟姉妹よ、私共の衷に聖霊が降る時、私共は神様のために生きることを愛するようになり、神とともに永遠に生活することでありましょう。けれどももし私共の心が曇ってかすんでくるならば、私共のクリスチャンなるかが判らなくなり、神や神の人を見るよりも世の中にある物をのみ見て、暗黒な生涯を送るようになるでありましょう。
 天路歴程の中に、一人のお爺さんが手に熊手を持って、棒切れや藁や木屑を掻き集めることに一生懸命で、下の方ばかりを見、少しも上を見ないという物語があります。が、彼の頭の上には一人の天使が立っております。その天使は、手には星のごとくに輝いた黄金の冠を持って「塵掻きの熊手を棄てて、この黄金の冠を受けよ」と言っておりますが、このお爺さんは上を見ないでただ地上にある物のみに心を奪われて、それのみを掻き集めているのでございました。
 今晩、ここにおいでになる皆様よ、貴方はクリスチャンでありますが、果たしてあなたの目は明らかでありますか。それともこのお爺さんのように地上の物のみに目を奪われて、神の栄光を見ることの出来ぬクリスチャンでありますか。おおどうぞ、今晩主イエスにその心を探って頂きなさい。
 盲人が主イエスのみもとに来て「見えなんことを」願った時に、「見ることを得よ」と直ちに視力を与えられて明らかに見えるようにされたのであります。皆様方よ、今晩、盲人のごとくに他のことを考えず、ただ主イエスに近づいて、盲人のように取り扱われなさい。
 聖霊は衷に与えられ、心の目も明らかになるでありましょう。聖霊により私共は白き衣、すなわち潔き心を与えられ、また聖霊を私共が衷に受けることによって眼薬を頂いて、心の眼が開かれるのでございます。

三、火 に て 煉 り た る 金

 なおこの黙示録三章十八節には第三の賜物があります。「火にて煉りたる金」、これはすなわち本当の富です。聖霊みたまこそは私共の衷にこの真の富たる「火にて煉りたる金」を齎して下さいます。その賜物が与えられるならばお互いの心の衷には直ちに喜びは与えられ、感謝のない者には感謝が与えられ、愛の欠けている教会には愛が注がれ、お互いはこの神の愛の注ぎにより盈満えいまんされるのであります。かく神様は聖霊により私共に本当の愛、本当の喜び、永遠の平安を与えたまいたく願っておられます。「火にて煉りたる金」を皆様に与えんと願っていたもうのであります。
 或る時、一人の娘がおりました。娘は宝石の飾りを手に付け、また金の腕時計、真珠の胸飾りをしておりました。が、そのものは本物ではなく、どれもこれも偽物で、美しく光っており本物のようでありますが、本物ではなかったのです。ところが一人の友人がその娘のそばに来て、「あなたはその表面ばかりの飾り物をしていることは宜しくないから、本物の宝石をあなたにあげましょう」と言って、娘に本物の金時計、ダイヤの指輪、真珠の飾り物を与えたのでありました。
 愛する兄弟姉妹よ、主イエスが今晩私共に与えようとする賜物はちょうどこれと同じでございます。私共には少しばかりの愛がある、平安がある、能力があると人々の前に自分を美わしく見せかけますが、それは偽物で、本当のものでないことがあります。おお今晩、私共お互いが神様に近づいて真のそれらを頂き、聖霊を与えて頂くことにより、上よりきたるところの真の喜び、平和、愛、能力に充たしめられんことを! 主イエスはそれらのものを提供しておられるのであります。
 第一世紀のローマ皇帝中にネロという暴君がありました。彼は恐ろしい迫害を起してクリスチャンを圧迫しましたが、ペテロはこの恐ろしい迫害を受けて苦しんでいる人々にこの書翰──前に少しお読みいたしましたペテロ前書──を書き送ったのであります。当時のクリスチャンたちはこのネロ皇帝の残酷な迫害のもとにあって幾多の友を殉教によって失い、財産をも失い、自分自らもいつ何時引き出されて死刑に処せられるかも判らぬ時でありました。けれどもペテロはその書翰の中に、その恐ろしい迫害の中にある彼らの苦痛をむしろ祝福しております。彼らのうちにどこまでもその圧迫に屈せず、その迫害を貫いてゆく力と大胆と喜びのあったそのことをペテロは祝福しているので、これは彼らが心に頂いているキリストによって喜びをもって貫いて行くことが出来たのでございます。ペテロ前書一章八節をご覧下さい。

 『汝らイエスを見しことなけれど、之を愛し、今見ざれども、之を信じて、言ひがたく、かつ光栄ある喜悦よろこびをもて喜ぶ』

 これこそは彼らの所有しておった真の富です。実際に主イエスは皆様方に顕れて、真の富を与えようとしておるのであります。
 さて主イエスはこれらの賜物を提供しておるのでありますが、単にその賜物について聞くばかりでなく、これを「買え」と仰せになります。皆様がお宅の必要なものを買いに行くと致します。その時の皆様はお金、風呂敷、入れ物などをちゃんと用意してお出かけなさいますでしょう。主イエスが私共にお勧めなさるのもそれとちょうど同じです。私共は神様と的確に取引しなければなりません。売店に参りまして、あれこれと選んだ後にその品物を取り上げて買いますように、主イエスの我らに提供したもうものもやはり的確に取り上げなければなりません。その方法で今晩主イエスの提供しておいでになる聖霊を的確に受け取ろうではありませんか。
 御霊は私共に
  第一に白き衣を与え
  第二に眼薬を与え、
  第三に真の富である火にて煉りたる金
を与えたもうのであります。
 主イエスは仰せになります、「これらのものを我より買え」と。主イエスは私共に近づき「わが手よりこれを受け取れよ」と懇ろに勧めていたもうのでございます。
 おお愛する兄弟姉妹よ、これは買いに来ることであります。話を聞くだけではありません、自ら主イエスに近づき奉り、そして彼の聖手みてより頂戴することです。愛する皆様よ、今晩互いに主に近づきましょう。神の御子みこの提供したもうすべての恵みを頂戴いたしましょう。しかる時に主イエスはただにこの賜物を与えて下さるばかりでなく、お互い一人一人に御自身を与えて下さるのであります。
 黙示録三章二十節に

 『視よ、われ戸の外に立ちて叩く、人もし我が声を聞きて戸を開かば、我その内に入りて彼とともに食し、彼もまた我とともに食せん』

とありますが、主イエスは聖霊により皆様の心の衷に住みたもうことができます。愛深い親しい交わりを主イエスは皆様と結びたく願っておられます。これは神の火の賜物です。これにより神様は火を燃やそうとしておいでになります。おお今晩、主イエスは我らと偕に食することを望んでおられるのであります。主イエスは皆様の心の外に立ってノックすることを約束していたまいます。おおただいま、ここで、即座に、皆様の心に住まわんとて備えしていたまいます。
 主イエスは皆様の必要を満たし、皆様の欠点を補う賜物をここに持参なさっていたまいます。ですから皆様が主の聖前みまえに頭を垂れて、生ぬるい自らの霊魂たましいの有様を主イエスに申し上げて頂きとうございます。皆様がかくなさいますならば、主は今晩確かに皆様の心の衷に入り来りたまいます。そして皆様の喜びなさる、望んでいなさる火にて燃ゆる心を与えたもうでありましょう。祈ります。

 主イエスは臨在しておいでなさいます。そして必ず私共の祈りに応えたまいます。甦りたまいし主は今晩もあなたがたに近づきたまいます。あなたがたの心の中にこんな貴い聖業みわざを与えとうございます。
 主はあなたがたの心の戸を叩きたまいます。どうぞ暫く黙ってお祈りなさい。これらの恵みをお受け入れなさい。聖霊みたまにより真っ白な心を与えられ、眼薬を与えられ、火に煉られたる金を与えられなさい。どうぞ信じて聖霊御自身を受け入れなさい。

 祈禱
 「おお主よ、私共は本当に貧しき者、盲人めしいなるものであります。けれどもあなたは私共に美わしい賜物を与えたもう約束を与えていたまいます。
 おお主よ、今晩私共にあなたご自身は近づきたまいます。どうぞ主よ、今晩私共の心の衷に聖霊の賜物を与えたまわんことを乞い願い奉ります。どうぞ今、ここで、ただいま、主よ、あなたの賜物を与えたまわんことを乞い願い奉る。
 聖名みなによりて信じて乞い願い奉ります。    アーメン。」



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